親知らずへの道
私はバセドウ病なので、
他の病気…
橋本病、甲状腺がん、などの
方と同じ体験はしていませんし、
同じバセドウでも出なかった症状は
実体験としては分かりません。
ただ、一般的に
甲状腺の病気の治療には時間がかかる
ということだけは分かります。
かなり順調に治療が進んだ私でさえ、
寛解するまでに2年間かかりました。
人生やライフスタイルを変えるのに
充分な期間です。
バセドウだと分かった当初から、
医師から「治療には時間がかかる」
と聞いていましたし、
それに個人差があるのも聞いていたので
先が見えない戦いだなぁ…
と思っていました。
ただ、その都度その都度、
症状に合わせてすべきことは
目の前にあります。
たとえ、その治療にリスクがあろうとも、
最悪な結果「死」を避けるために
必要なことであって、
それを自分の意思で決定して
実行するしかありません。
体の痛みや倦怠感、
そういう肉体的なツラさはあるけれど、
それよりもツライのは
精神的な痛みやストレスで…
私はなんども
「心が負けちゃいけない」
と涙目で歯を食いしばりました。
最初から強い人間なんていないんです。
ただ、強くなる人と弱いまま人との違いは
「強くなりたい」と心のベクトルが向くか、
向かないか…それだけの違いだと思います。
私は、〈心〉と〈筋肉〉と
とても似ていると思っていて。
使って鍛えるほどに強くなるし、
ふわっとストレッチするほど
柔らかく柔軟になる。
と思っています。
そしてそういう状況を作り出す
シチュエーションとして、
修行中の「修行僧」
もしくは
RPGの「勇者」
を想像しました??
まぁ、以前から
禊を受けに行ってみたり(一度だけねw)
断食道場に行ってみたり(これも一回だけw)
素養はあったのですが、
バセドウ病も一つの「修行」だと
思ってみることにしました。
ちょっとした遊び心ですが、そういうメンタルで過ごすことによって「痛み」と「精神」を分けて考えるように意識したり。(精神分析的には“課題の分離”と言います。インド哲学にもあります。)
修行のゴールである“悟り”を
治療のゴールである“寛解”に例えてみたり。
ついでに“釈迦の人生”などを学んでみたりすると(笑)、「この人ってば、病気でもなんでもないのに、自ら飛び込んで荒行しとるっ」と同じ人間レベルでの修行レベルの違いにビックリしたりしたりw
「行(ぎょう)」をこなすたびに、
悟りレベルがアップするわけです??
そして、治療の副作用で
メルカゾールというお薬が使えなくなり、
アイソトープ(放射線治療)を受けた時などは、
RPGに例えます。
“ともみはアイソトープを受けた”
チャララチャッチャチャ?
(↑レベルが上がる音)
などと、脳内で遊んでるわけです(笑)
もうね、痛いもんは痛いし、
ツライ現実はツライので、
脳内で遊ぶんです
もちろん、
「マジ凹むわぁ?」
といってメソメソする日もあります
人間だもの…
体にたまった悲しみやストレスは
涙で外に流しちゃえ。
でも私は「勇者」だから、
また冒険の旅に出るわけです
てか、生きてくって
そういうコトなんですよね。
いつだって、私たちは
現実に立ち向かう「勇者」だし、
自分の心の弱さと向き合う
「修行僧」なんです。
お釈迦様だって、悟った後でさえ
自分の心の中の悪魔と天使に
翻弄されるんです。
(ちなみに私はどの宗教にも入っておりません)
そんなもんなんです。
最初から強い人なんていないんです。
強くなりたいと
思うか、思わないか、
それだけです。
というわけで、
私はどうやらRPGの第二ステージが
(勝手にw)はじまったようで、
“親知らず”という名のラスボスに
立ち向かうのでした??
(むしろ妖怪っぽいなぁ…妖怪・親知らず…)
あ、ちなみに私はゲームは
全然やりません(テヘペロ)
*Please,take care?*
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